| 「我が歳、極まりて、安養の浄土に還帰すといえども |
| 和歌の浦和の片男波の 寄せかけ寄せかけ、還らんに同じ |
| 一人いてよろこばば、二人と思うべし、 |
| 二人いてよろこばば、三人と思うべし、 |
| その一人な、親鸞なりとーーーー。」 |
| 御正忌の朝晩のお勤めの後の法話の御讃題には、いつもこの |
| 御臨末の書の一節をあげていました。 |
| いつしか、私も御正忌の法話の御讃題に、この一節を申すよう |
| になっています。 |
| 1988年1月31日に往生の素懐をとげましたが、共立病院のベッ |
| ドの上で、阿弥陀如来の今現在説法を聴聞していたと思います。 |
| 岩永久男さんに語ったという「親鸞さんに遇えて、よかった |
| ばい。」「如来さんのお救いは、わし一人のためやったばい。」 |
| という話を聞くと浄土真宗の僧侶として、御法義をよろこび、 |
| そして、なにより親鸞さんが好きだったのだなあと、あらためて |
| 思います。 |
| 親身になって看病してくださった 故 南春枝さんや実妹の管見 |
| 和子さんのことを、ありがたく、懐かしく思い起こしています。 |
| 「『別れ時を、さのみ悲しく思うなよ。また遇うことのあると |
| 思わば。』そんなうたをよくじいちゃん(管見達性さん)から聞 |
| いてたよ。」と和子さんは、教えてくださいました。 |
| トラック島父島から、生還し、1947年に法泉寺に入寺して、 |
| 厳しい養父(桃谷法隆)から鍛われながら、法灯をつないでくだ |