この三つの言葉から連想するものは、なんでしょうか?
ずいぶん昔のことですが、ある大学教授が「人間死んだら、ゴミになる。」とおっしゃいました。ぼくは、そんな風に考える人もいるのだなあとあきれましたが、夜中に目が覚めて、眠れぬままにそのことを考えました。 夕食はいつも7時ぐらいにいただくのですが、焼酎のお湯割りを一杯飲んだ食後、体を横にすると、すぐ眠りに落ちて、3時間ぐらい炬燵の中でぐっすり眠った後、家族から無理やりお風呂に入るように言われ、上がると阿弥陀様の18願体操(四股や歯磨きしながらのスクワットや捻転や腹筋運動や左右の足上げや手足のぶらぶら運動や真向法の動きを18回ずつ行う)をすませて、ベットに入るのは、午前1時過ぎというルーティンが毎日続いているので、お風呂での副交感神経優位が18願体操によって、交感神経優位になってしまって、ベットに入ってもなかなか寝つかないまま、いろいろな思いが浮かんでくるのです。そして、ゴミの歌ができあがりました。
ゴミが出ますよ、ゴミが出る。欲と怒りと愚かさの煩悩具足のゴミが出る。
ゴミを捨てましょ、ゴミ箱に。全部拾うて下される阿弥陀如来のゴミ箱に
ゴミを漢字で表せば、美を護ると書きまする、周りがきれいになりまする。
大谷翔平選手は、日常、ゴミ拾いを心がけているそうです。忘れ物の天才、周利槃特(しゅりはんどく)は、自分の名前も忘れるほどでしたが、毎日ゴミ拾いを続け、まわりのゴミを拾うだけでなく、心の中のゴミを拾うということに気がついて、悟りを開き、釈迦十大弟子の一人に数えられました。彼の墓から生えてきた植物は、彼が自分の名を書いた札を担いでいたことから、「茗荷」と呼ばれるようになったと聞きました。
人が亡くなったら、ゴミになったり、星や風になったり、星になったり、天国(迷いの世界)や冥土(暗闇の世界)や草葉の陰や霊界で彷徨うことなく、阿弥陀如来の本願力に乗じて、すみやかに浄土(安養の世界)へ往生するのです。そして、浄土で悟りを開き(成仏)、安住することなく、安らかに眠ったりせず、有縁の人々を救うはたらきとなるのです。浄土真宗の「往生浄土、還相摂化」をそのように味あわせていただいています。
しっこりさん⑬ 自利利他円満(じりりたえんまん)
男ん子にはぺちゃ、女ん子には写し絵ば、よう、くいよらしたけん・どこで買いよらすとやろか。銭(ぜん)はどがんしよらすとやろか、まさか泥棒しよらすとじゃなかろうね、と思うて、「ぺちゃはどこで買いよっと?」って聞いたぎ、「おりゃー、ゼンモンばってん、貰うばっかいじゃいかんて思いよっとたい。法泉寺のホーリューサンから「貰うぎ、少しでもよかけん、返していかんば、こりゃー、自利利他円満ちゅうお釈迦さんの教えたい。世の中そいで、うまいこと回っていく。」ちゅうて教えてもろうたけん、お前たちにゃぺちゃばくいたい、困っとらす人ん手助けドンすっぎ、駄賃ば貰わるっとタイ。そいけん銭は持っとるとたい、そいでん、どこで買いよっとかは、教えられん。」ちゅうて、中十里ん方に行ってしまわした。
●4月の行事予定(住職動静)
8日 上本老人会総会(三葉館)
10日,24日 伊万里栄町歌う会(13:30~)
13日 曲川神社 さくら祭り 子ども雅楽出演(12時ごろ)
★住職は法事が重なり、不在。子どもたちと雅楽応援団で演奏予定。
13日 むりょうじゅ会*19時30分~
●御文章を拝読します。以前は、近辺のお寺(浄源寺、唯證寺、善照寺、浄真寺)のご院家さんたちが全五巻の御文章を一巻ず つ拝読されていました。御文章披露は、一日がかりの行事でし たが、今はその風習もなくなり、第五巻の一部のみ拝読して、 味わっています。今年もむりょうじゅ会で、 二,三段拝読し て解説しようと思っています。御文章は、蓮如上人のお手紙で 、文盲の方にもわかるように、拝読され、拝聴の折には、低頭 して聞かせていただき、「あなかしこ、あなかしこ」で締めく くられます。
★こども雅楽の応援団を結成します。
この三月で、子ども雅楽の六年生が六人、中学校へ進学します。竜笛や篳篥の上手な子がごっそり抜けてしまうので(部活や習い事、塾)曲が崩れてしまう恐れがあります。そこで、イベントの時だけでも参加してほしいと言っていますが、部活の試合や練習で参加できなくなることは明らかです。そのため、どなたでも、子ども雅楽の応援団に参加していただき、打ち物や楽器のできる人はもちろん、できない人も、ぜひ、参加していただき、応援してくださるようにお願いしようと考えています。琴や雅楽の楽器の他に琵琶を入れて練習しようと思っていますので、よろしくお願いいたします。
●東井義雄先生の言葉
今から始まる 新しい「今日」一日
私は、今、長女が三歳の秋、お医者様から「お気の毒ですが、この病気は、百人中九十九人は助からないといわれているものです。もう、今夜一晩よう請け合いません」と言われた晩のことを思い出しております。
脈を握っていると脈がわからなくなってしまいます。いよいよ別れの時かと思っていると、ピクピクッと動いてくれます。やれやれと思う間もなく脈が消えていきます。体から血の引いていく思いで、幼い子どもの脈を握りしめていると、かすかに脈が戻ってくれるのです。このようにして、余話十二時を知らせる柱時計の音を聞いた感激。「ああ、とうとうきょう一日、親と子が共に生きさせていただくことができた。でも、今から始まる新しい今日は?」と思ったあの思い。「ああ今日も親子で生きさせていただくことができた」というよろこびを重ねて、とうとう新しい年を迎えさせていただくことができた日の感激。
2025 4 桃谷法信
ゴミ・星・風?