先月号で、中途半端に終わっていた東井義雄先生の言葉を、
全文掲載いたします。

東井義雄先生の言葉⑬-2 
 
そむいているときも御手の真ん中
 
 私が「癌」にとりつかれたり、大切な息子が、突然、
意識不明になってしまったりしたことを知られた北海道
の未知のご婦人から、分厚い封書をいただきました。

「阿弥陀さまや親鸞さまを頼りにし、法華経に尻を向けているから、仏さまが仏罰をおあてになったのです。日蓮大聖人様も「念仏無間」とおっしゃっているではありませんか。「念仏無間」のお言葉そのままの事に出遭っておられるのです。寺の住職としての体面もあるでしょうが、そんなものは潔く振り捨てて法華経と日蓮大聖人様に帰依しなさい。災難はたちどころに消滅します。私が自分の体験で申し上げているのです。まちがいありません。」
 
という趣旨の手紙でした。遠く離れた見たこともない他人のために分厚い手紙を下さったのは、本当の親切心からのことであったと思います。
    ★先月はここまででした、続きを。掲載いたします。
 私は、そのことについて、心からのお礼を述べるとともに
「私は、半世紀以上も学校の教員を勤めてきましたが、勉強のできない、頭の悪い子を見捨てたり、教師の言うことを聞かないで、非行を重ねる子どもを罰で脅したり、退学させたり、告訴したりする教員にだけはなりたくないと考えてきました。勉強がわからなくて、学校へ来る楽しみを失っている子どもには、つまづきの原因を確かめてそれを正し、わかる喜びを育ててやるのが教員の仕事だと考えてきました。教師に背き、非行を重ねている子どもには、その子がそうしなければならないわけを確かめ、本当の生きがいに目覚めさせるのが、教員の仕事だと考えてきました。
 私が、そのように考えざるを得なくなったのは、せっかく寺に生まれさせていただきながら、如来さまに背き、如来さまをそしる罪をさえ犯してきた私を、如来さまは、罰することもなさらず、憎むこともなさらず、見捨てることもなさらないばかりか、ひたすらに愛し、ひたすらに私の目覚めを待ち、ひたすらに生かし続けていてくださったのです。







 気がついてみたら、背いている真っ最中も、謗っている真っ最中も、私は、阿弥陀様のお慈悲のど真ん中にいたのです。
 それ以来、私は、仏さまであろうが、学校の先生であろうが、家庭の親であろうが、「凡・聖・逆・謗」(ぼんしょうぎゃくほう)を斉しく抱き取ってくださる方は「ほんもの」、見捨てたり、罰を与えるようなお方は、どんなに大評判の方であっても「にせもの」と考えるくせがついてしまいました。
「法華経」の尊さも「日蓮様」のお偉さも、よく存じているつもりですので、その筋の先生方とも、大変お心やすくして頂いております。私どもが、ただいま、たいへん、辛く厳しいことに出逢っているのは事実ですが、これは、「仏罰」などではなく、私どもが長い間、知らず知らずの間につくってきた「因(タネ)」や「縁(条件)」によるもので、謹んお受けするしかございません。それにつけましても「たとい罪業は深重なりとも、必ず救う」と呼んでくださる「阿弥陀様」をいよいよ頼もしく、仰がせていただくばかりです。どうか、ご縁がございましたら、あなた様も「凡・聖・逆・謗」(ぼんしょうぎゃくほう)を斉しくお摂めとってくださる「阿弥陀様」のお呼び声に、耳を傾けてくださるようにお願い申し上げます。」という返事を差し上げた事でした。
 さて、このご婦人だけでなく、世間にはずいぶん多くの方が、仏さまの御意に従うものに荷は、「吉」事や「福」が与えられ、仏さまの御意に背くものには「凶」事や「禍」が与えられる
と信じておられるように思います。もちろん、「諸悪莫作(しょあくまくさ:もろもろのあくをなすことなかれ」「衆善奉行(しゅぜんぶぎょう:まわりがよくなるようにこうどうせよ)」「自浄其意(自ら心を清くせよ)」は、是れ、もろもろの仏の教え給うところ「是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」であるわけです。
 どのような悪人も必ず救うという誓いを立てて仏さまにおなりになった阿弥陀様でも「悪」がお好きであるはずはありません。しかし、諸仏様から困られ、見放されつつも、なお、悪をつくらずにはおれない「人間」というものの憐れさ、どうしても、見過ごすことがおできにならないのが、「阿弥陀様」という如来様なのです。









しっこりさん ⑫ リーリーシーハウリー

 しっこりさんな、よう、ブツブツ言うて、歩きよらした。

歯がいかことのあらすとバイねって思うたバイ。誰にも言われん事ば、こまあか声でブツブツ言いよらしたとやろう。そがん時は、悲しか顔ばしとらした。
 そいでん、同なじブツブツでも、嬉しかごたあ顔で言わす時もあったバイ。そがん時もこまあか声やったばってん、「リーリーシーハウリー」て言いよらした。リーリーシーハウリーて、何ね?て聞いたぎ、「リーリーシーハウリー、リーリーシーハウリー」て、言わすばっかいやった。
 わからんやったけん、上田オンちゃんに聞いたぎ、そりゃ、中国語たい。「リー」は、日。「シー」は、是。「ハウ」は好。そいけん、「リーリーシーハウリー」は、日本語になおすぎ、「日々是好日」タイ。しっこりさんな、中国からの引揚者じゃなかろうか?早岐の先のハヤン崎(南風崎)の港に、中国の満州からようけ引揚者の着きよらしたけん、ここんたりおらす人は、引揚者の多かとたい。開拓団のようけあっろうが。開拓ん仕事のきつかったか、身体の悪うならしたけん、ゼンモンにならしたとバイね。って話てくいらした。


●3月の行事予定(住職動静)
2日 佐賀教区仏壮県大会北方公民館、駐車場係6名参加)
 小川一正さん岩永久止さん福田昭夫さん町野進さん南昭彦さん力武公人さん

2日 上本会計監査(三葉館)
  6日,20日伊万里栄町歌う会
11日
 退教協役員会 九州労金伊万里にて

13日 
むりょうじゅ会19時30分~

18‐20日
春の彼岸会730~20日は朝10時からもお勤めあり。
18日 曲川小学校 卒業式 出席(子ども雅楽6名卒業

一口法話 2025 3 桃谷法信

東井先生の御説法
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