一口法話

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2017.12桃谷法信

         一向衆と鉄砲
    

 11月初め、近所の同世代の仲間と北陸三県福井石川富山へ出かけました。
東尋坊や兼六園は何回も訪れていましたが、今回初めて行ったところが2カ所。五箇山の合掌造り集落の菅沼、そして、高岡大仏。
 岐阜県の白川郷の合掌造りは有名ですが、そこから富山県側へ約30分の所に菅沼の合掌造り集落がありました。昔のまま保存されている家に入ると、その山深い郷でどんな暮らしが営まれていたか、びっくり仰天しました。養蚕で真綿や絹糸を生産したり、発酵技術で食料を自給したりはもちろんですが、発酵技術を生かした塩硝(えんしょう)づくりが行われていたことに目からうろこが落ちました。塩硝とは、黒色火薬の原料になるもので、蚕の糞や桑の茎、屋根替え後の古い萱、人尿、蓬(よもぎ)などを土と混ぜ、囲炉裏の傍で。4~5年発酵させると、できるということだそうです。これは、加賀の国の一向一揆と大変深いつながりがあります。蓮如さまがなぜ吉崎の地に本願寺を移されたか、その後、加賀の富樫氏を滅ぼして、一向宗の自治が100年近くに及んだのもこの鉄砲の力によるものと推察できます。その家には、塩硝造りの道具と、仏間に阿弥陀如来が安置され、帰命盡十方無碍光如来の十字名号と南無不可思議晃如来の九字名号が掲げられてあったので、真宗王国北陸門徒の畢竟依(ひっきょうえ:一番のよりどころ)は、阿弥陀様であったと再確認しました。
 種子島に鉄砲が伝来してから、鉄砲製造の技術は、松浦党や村上水軍をはじめとする各地の水軍、日蓮宗、一向宗の門徒たちが深く関わり、堺や和歌山の根来や雑賀、その他、先見の明を持つ戦国大名の膝元で盛んに製造されました。
 織田信長がなぜ本願寺を責めたのか、十二年間も本願寺が戦えたのはなぜか、そして、京都の宿泊地になぜ、本能寺を充てたのか、その謎が菅沼集落から見えてきたのです。
 本能寺は日蓮宗の寺で、鉄砲を備えており、信長が攻めた本願寺(石山本願寺:現在の大阪城)には、戦国大名が立ち向かえないほどの8000挺もの鉄砲があったと言われています。
 鉄砲は、1543年に種子島に伝来したと言われていますが、1200年代の蒙古襲来の時に蒙古軍が使用した火器は、おそらく鉄砲の原始的なもので、真似名人の日本人が黙っているわけがなく、松浦党をはじめ倭寇や猟師などは、使っていたのではないかとも思えるのですが、その証拠に1555年、織田信長が斎藤道三のもとを訪れた時、鉄砲五百挺を携えて聖徳寺まで行進したと記録にあるので、鉄砲伝来からわずか10年で、そんなに鉄砲が揃うはずもなく、それ以前から鉄砲はあったものと考えるのが無理のない史観ではなかろうかと思います。
 加賀の一向宗を支え、徳川幕藩体制の前田利家公以下、260年にわたって、加賀100万石を支えた力の一部を、まざまざと見せつけられた菅沼集落でした。
 しかし、戦国の世で威力を発揮した鉄砲を、それ以後の為政者は遠ざけてしまいます。太閤秀吉による刀狩りによって、鉄砲よりも大事なものがあると見抜いた徳川家康など、世界の覇権主義に対抗した鎖国政策によって、日本が諸外国の餌食にならず、植民地化されなかったことにつながるのだと思っています。朱子学の影響もありますが、キリスト教の宣教師たちが、当時の日本人の聡明さや技術力、武器にたよることをしない強さを本国に報告していることも大きく影響しています。それは、現代も銃刀法の規制や核兵器禁止3原則につながっていると同時に、日本国憲法が大きく働いているからだといえます。
 兵矛無用とおっしゃったお釈迦様の教えを守ることこそ、平和な世界を構築することができると確信しています。核兵器で脅しあう世界、銃規制をしない世界など、戦争につながるものとして、世界から消えてしまってほしいものです。
 ちなみに、金沢城は、本願寺の尾山御坊の跡であり、信長と和睦した本願寺十一世顕如上人が落ち着かれたところは、鉄砲製造の拠点に近い、和歌山の鷺の森でした。

●高岡の大仏(富山県高岡市)

「奈良や鎌倉の大仏よりも男前の大仏が高岡の大仏です。」とバスガイドさんはおっしゃいました。気むずかしい庵主様がいらっしゃいますので、気を付けてくださいと付け加えられました。到着したのは午後6時.あたりはもうすっかり暗くなっていました。ライトアップされた大仏様(阿弥陀如来坐像)を拝んだ後、本堂にお参りに行くと二人の女性のお坊様が、長靴をはいて、向拝に座っておられましたので、「ここは浄土宗ですか」と声をかけると、「はいそうです。1軒も檀家がないんですよ。でも、毎朝、真宗門徒の方たちがお朝事に参ってこられますよ。北陸は、真宗王国ですし、経典は浄土宗も浄土真宗も同じですから、それに、神主さんもお参りされますよ。、え、九州からお見えですか?それは遠いところよくお参りくださいました。」と気さくにお話しされたので、今日はよっぽどいいことがあったのかなと思いました。

●桃谷法信いのちの歌シリーズ
 
今月ユーチューブにアップしたのは、10月10日、神戸のケアハウス「絆」で、弟の孝正と一緒に歌ったもも&もものテーマソングです。自己紹介的な「さーさ、出ました」という軽快な曲です。バイオリンが効いてます。

仏教的に食を味わう⑦ 落花生

 タンパク質と脂質(オレイン酸、リノール酸)をいっぱい含んだピーナッツは、ビタミンもいっぱいで、疲労回復に効くビタミンB3(ナイアシン)が豊富です。これは、筋肉の糖質や脂肪を効率よく分解する働きがあるからです。また、アルコールを良く分解することから、お酒のおつまみにもぴったりです。美容効果もあり、お肌もつるつるになります。ビタミンE やレスべラトレールを含んだ薄皮も一緒に食べることが落花生をいただく極意です。

12月の行事予定  

 親鸞聖人の遺徳を偲ぶ「在家報恩講(ほおんこさん)」は、真宗門徒にとって、大切な相続です。お磨きやお荘厳など、親鸞様のご苦労を偲びながらお勤めしましょう。

1日 武雄市西川登小人権集会お話 大野地区高齢者サロン
2日 お取り越し在家報恩講(有田、下本)
3日 お取り越し在家報恩講(楠木原、下本)
9日 おて落語:笑福亭希光さんIN法泉寺PM6時~
   ライブ:もも&もも
(桃谷孝正・康江と桃谷法信)
10日 JA長崎・川棚女性部大会 説法ライブ

10日 お取り越し在家報恩講(佐世保、)
11日 お取り越し在家報恩講(佐賀、武雄、伊万里)
13日 むりょうじゅ会(終いお講 夜6:00~)
   ●女性部の美味しいお斎があります。
14日 原明おこう(岩永浩美さん宅 夜7:00~)
16日 お取り越し在家報恩講(原明上)
17日 お取り越し在家報恩講(原明下)
21日 下内野高齢者サロン 説法ライブ

23日 お取り越し在家報恩講(上本岩谷)
24日 お取り越し在家報恩講(上本迎)
25日 お取り越し在家報恩講(上本舞原、舞原団地)
26~30日 お取り越し在家報恩講(大山、その他)
31日 除夜の鐘
(どなたでも撞きに来てください。11時40分~
     ついたらそのまま本堂へ、年越しお正信偈をお勤めします。

 ちなみに1月初めの行事は、「下記のとおりです。
1日 元旦 修正会(大みそかから引き続き、勤めます。)
4日 総代世話人会 夕方5時ぐらいからです。場所未定、まず本堂へどうぞ。
8日 お磨き、お華束盛り 新年会 多数ご参集ください。
10~13日 御正忌報恩講(朝6:00~ 夜7:30~)
     12日は、子ども報恩講です。雅楽の演奏を致します。
14日 原明お講